多紀連山の御嶽を主峰とする峰々が丹波修験道場の中心となったのは、いつ頃か定かでないが鎌倉から室町時代にかけてといわれている。
一時は興隆を極め、入山する行者は後を断たず、山々には法螺の響き、錫杖の音、念誦の声は谷に、里にこだまし、正に信仰の山であった。
主峰御嶽の南側直下に大岳寺を始め、数カ所に堂が建ち、東の小金ヶ嶽の頂上には蔵王堂、そしてその南側直下には福泉寺を始めとする寺々、さらには、入山前にする里行のための里坊などがあった。
しかし、隆盛を誇った丹波修験も室町時代の文明14年(西暦1482年)に大和修験道との勢力争いに敗れ、寺々などことごとく焼失してしまった。
そして、今も修験道場の行場を巡って行き着くと「東の覗き」「不動岩」「西の覗き」愛染窟」などの行に関する地名に出会うことができる。その行とは表と裏の二道に分かれており、表は金剛界廻りといってまず筱見四十八滝から峰々を経て御嶽頂上の行者堂へ。裏は胎蔵界廻りといい、御嶽頂上から西に向かい、西ヶ嶽を通って里の養福寺に入って滝の宮で水行をして終わる。
多紀連山の主峰で古くは藍婆ヶ峰と呼ばれ、頂上は2つの峰からなり、西側が最高峰で三角点があり、東側には石室がある。峰の北側は急峻で下る道はない。南側の直下に修験道場の本山であった新金峰大伽藍大岳寺(だいがらんみたけじ)の跡がある。
毎年5月の山開きの行事は、この山頂で実施され、丹波大峯会員が山伏姿で吹く法螺の音と共に盛大に行われる。東の峰からのパノラマは特に素晴らしく、東方より京都愛宕山、大阪生駒連峰、南の六甲山、播磨灘、西に但馬栗ヶ峰、北に丹波大江山、丹波長老ヶ岳が遠望できる。
山容は御嶽の雄大さに比べ、岩肌の荒い珪岩質の奇岩が露出し、岩場に富んでいる。特に北側は、峻崖で獣の近づかない。頂上は狭いが展望は素晴らしく360度視界が広がる。古くは蔵王堂があったところから蔵王ヶ岳と呼ばれ、御嶽と同じく修験道場の山であった。
山形は雄大なもので南に多くの尾根を有しながら北面は山頂から絶壁で大小無数の岩場があり、一歩誤れば千尋の谷に落ちる箇所が所々にあり、その岩場を選んで咲くようなシャクナゲの花とのコントラストが一段と美しい山である。
山頂にはどうした訳か「一の池」という石組みの小さなくぼみがある。
筱見四十八滝の広場を滝に向かわず、橋を渡り、杉林の道を登ると稜線を左にとって進み、1・2回の起伏を越すと一気に鞍部に下る。川阪峠の484メートルである。右は川阪、左は鍔市ダムを経て火打岩に出られる。小金ヶ嶽への道は稜線を再び登る。左下に鍔市ダムを見ながら10回近くピークを越すと小金ヶ嶽頂上に着く。狭いが展望はよく、360度の視界が広がる。東に京都の愛宕山、南東に大阪の生駒山、南に六甲山、西に栗ヶ峰、北に大江山、長老ヶ岳と連なる。西に立ちはだかるのが主峰御嶽である。その方向に出ると岩場に出る。北側(右側)は崖になっているが道は岩峰の南側の基部をまいているので注意すれば危険なことはない。道が岩峰の北側を過ぎると岩場は終わる。雑木林を一気に下り、杉林を抜けると最大の鞍部であるおおたわである。縦走コース唯一の水場である。
おおたわより御嶽に向けては急な坂で階段上の登山道を登るとすぐ頂上である。かつては行者堂であったが今は岩室がある。頂上は2つの峰からなり、その中間の鞍部より南へ下る道は大岳寺跡を経て火打岩、瀬利、丸山に出られる正面道である。西の峰を通り西に向かうと一気に下る。「西の覗き」を過ぎると稜線上で西ヶ嶽と栗柄への分岐点に着く。西ヶ嶽へはかなり険しいがはっきりしており、西ヶ嶽頂上の展望もよい。西ヶ岳頂上より下る道は分岐点まで戻り北に折れ、「愛染窟の洞」を経て茶畑を通って栗柄の里に出るコースもあるが、分岐点をそのまま進み、守護岩を右に見ながら栗柄口へ下るコース登山道も整備されている。